先月は戊辰戦争中心で、榎本は出てきませんでした。かれはオランダから帰
国後、直ぐに戊辰戦争に巻き込まれます。今月は榎本に集中して話を続けます。
1868年3月:西郷と勝との会談結果を受け、勝は西郷と誠意ある約束をした以上、
勝は身を挺してでも約束を守る必要があった。最も心配であったのは他ならぬ榎
本の動きであった。この理由は以下の通りである。
(1) 榎本は反恭順派で、主戦派の総帥であったこと。
(2) 軍艦は海に浮かんでいるため、把握できない。
このため、勝は軍艦の動静を日夜探していた。
(3)榎本は軍艦の引渡しを拒否し、軍艦8隻を率いて品川沖を脱出し、館山沖
に退去した。
(4)朝廷側から勝へ手紙で「軍艦引渡しの約束違反」として責められた。
(5)このため、勝は単身館山へ行き、開陽丸上で、榎本と面談し、軍艦を引き
渡すよう説得した。榎本にとって勝は兄弟子に当たり、反対は出来なかった。
一方、榎本等の反恭順派にとって、江戸開城と慶喜の水戸引退は最後の望みの
綱が絶れた。 榎本にとって、軍艦の引き渡しは自己の自尊心を傷つけ、かつ徳
川家を無力なものとするに等しいためである。また、彼の要求根拠としては「薩
長が海軍を持つことを許されていた。」ことであった。
このように彼の考えは彼自身および徳川家から離れられなかった。本来は、政
府軍に敗れた者として許されることではない。武士道としては理解できても、は
なはだ日本人的発想と言える。
そこで、彼等は以下の様な動きをした。
4月9日:旧幕府側として陸軍・海軍人の嘆願書を出した。曰く「軍艦の一部は徳
川方に残して欲しい」理解を示し、旧幕府所有の軍艦の内、開陽、回天、幡竜、
千代田形丸の4隻を榎本へ返し、榎本の希望通りとした。またその際、西郷は榎
本を主家を思う至情とし褒めていた。これは政府軍としては、相手を慰撫し、懐
柔するためであった。これは政府として、なんら疑惑を持っていなかったと言え
る。そして後にこれが裏目に出たと言える。
榎本の脱走準備:
榎本は密かに以下のように脱走準備にかかった。
(1) 軍艦へ燃料、食料の積み込み
(2) 艦船の艤装整備
(3) 艦内人員の任免――恭順派や老人を退け、決死の壮者を選び、重要ポス
トに就けた。
(4) 兵員には銃砲の取り扱いを訓練した。
(5) 武器、弾薬を松平太郎(後に,函館で副総裁となる。)調達させた。
彼が御船蔵の管理者の時に貯蔵されたものを密かに各艦船に搬入させていた。
(6) 軍資金の調達については諸説ある。一説によると下記であったと言う。
・鳥羽・伏見の戦いで幕府が敗れ、大阪を後にした時、榎本は大阪城から古金
・約20万両を富士山丸に積み込んだ。この一部が流れた。
・松平太郎が銀座にあった100万両を隠していたが、この一部を回した。
フランス軍の参加:
1863年(慶応1年):幕府は軍隊の洋式化と反幕府勢力を抑えるため、ロッシュ
に陸軍教師を招請した。しかし、実現が遅れ慶応3年仕官5名、下士官9名が來日
し、同年5月:江戸で騎兵、砲兵、歩兵の訓練を開始した。
榎本と勝の考え方と行動の比較:
勝:
(1) 国内で政治混乱から請われて、政治的重要ポストに昇り、政治家として
幕末の大動乱を身を挺して(死を覚悟で)体験し、その結果として現在の考え
(日本の統一国家を確立することが第一)に立ったと言える。
(2) 大局的見地から身を処して行動するだけの見識があったと言える。
(3) その一つにかれはナポレオンのモスクワ攻めで敗戦した状況を理解して
いた。この知識を西郷があくまで江戸を攻めることに拘る場合、「やるなら
やってみろ」と、この戦略を用いようと準備していた。驚きであり、したたか
である。
(4) 勝は榎本の力量と性格を見抜いていた。即ち、榎本を海軍副総裁として
選んだのは閣内に置いて彼を拘束するためであった。
榎本:
(1)この大動乱期の大部分、日本を留守にしたため身を持ってそれを体験で
きなかった。従って、世の中の全体的な動きを把握できなかった。
(2)彼が帰国した時は(1867年)3月末には幕府は既に傾き、勢力を挽回で
きる状況ではなかった。
(3)帰国して直ぐに、徳川家強化のため意気込んで帰国した彼としては徳川
の衰退のみが頭に来ており、その原因や背景を深く考える余裕がなく、徳川衰
退の原因は薩長の謀略としか考えなかった。勝以外の周囲はこの様な考え方で
あったためでもある。即ち、外国文化を知っていたにも拘らず、クリティカル
シンキングが出来ていない。表面的に(ストレートに)しか考えが及ばないの
はエンジニアとしてまた彼の性格に起因すると言える。
(4)仮に留学しなくても彼にはこの様にしか考えが及ばなかったとも考えら
れる。
当方の両者の見方およびコメント
榎本へのコメント:
(1)彼には留学させてもらったと言う徳川への恩義もあり、徳川へ足を向けら
れないと言う心情が根底にあり、幕府を信じて疑わなかったと言える。ベース
はエンジニアながら政治面で分析的な見方をできなかったと言える。自分が彼
の立場であったら同じ状況になっていたであろうと考える。
(2)また、海軍力には自信をもっており、これで徳川への恩返しとして、また
自分の習ってきた技術を発揮したい思ったことと思う。
(3) かと言って、彼は決して口下手ではなくむしろ交渉能力に長けていたと
言える。西郷へ軍艦返却を申し入れたり、慶喜に外国に残った留学生のため金
の無心をしたりしている。また、外国語や国際法に長けているため、外国との
交渉に存分に彼の力は発揮されていた。
(4)上記(3)の彼の力量については今後出てくる函館戦争で遺憾なく発揮さ
れる。
