2010/03/26

その12:箱館戦争 (後期:終戦まで:その1)

I.1869年3月末から:政府軍の蝦夷地上陸作戦
1.政府側動向:
・1869年3月末:政府軍・陸軍部隊は軍艦の青森到着前に、青森周辺に集結した。
 (長州、備前、岡山、薩摩、松前、その他合計7千名、人夫を含め1万人弱とな
った。)
・3月26日:政府軍艦が青森に到着した。その他外国船3隻が輸送船として入港し

・4月4日:上記諸兵を蝦夷地に渡海させることを決定し、薩摩・山田顕義を陸・
 海軍参謀とし、長州他諸藩の兵1500名と大砲6門を輸送船に分乗した。これに、
 甲鉄艦他計7隻の軍艦がこれを擁護して出航した。
・これらは箱館に直行せず、乙部へ向かった。

2.榎本側の動向:
下記の蝦夷各地に兵員を分散配置し、戦闘態勢を整えた。ただし、乙部には兵を
置かなかった。
・松前、江差、箱館に300名、五稜郭から松前の間(茂辺地、当別、木古内等)
要所に700名余、室蘭に250名、鷲の木に400名、五稜郭に榎本等幹部の他500名余
を配置し、合計2900名であった。

・海軍力:回天、幡竜、千代田形丸の3隻は箱館湾内を警備し、長鯨は室蘭に停
泊していた。

・箱館市内は戦争勃発の噂を聞いて大騒ぎとなり、山へ逃げ出す者もあった。ま
た、外国船は中立を守り、津軽に移動した。

3.政府軍の上陸
・4月9日:政府軍は乙部に上陸した。榎本軍は守備兵はいなく、抵抗はなかった。
 また、政府軍は海軍の応援を受けて、江差に向けて南下した。榎本軍の松岡、
 ビュフェ等の守る江差を攻撃した。榎本軍艦の旧砲は敵艦に届かず、敗れた。
 そして、松前に撤退した。
・政府軍は2手に(松前と木古内を)分けて攻撃した。
・4月12日:大鳥や土方の抵抗に政府軍苦境に立った。
・4月13日:仙台、長岡の脱走藩士400名が英艦に乗って箱館に入り、榎本軍に加
 わった。


II. 上陸後の戦況:
 戦闘は一戦一戦が興味深いが、ここでは大筋のみとする。映画のシナリオ原稿
であれば追加する必要があろう。 特に、榎本軍側から見た「滅びの美学」と思
われる場面が多々ある。例えば、土方歳三の死、遊撃隊・伊庭八郎の死、回天、
幡竜丸の奮闘、弁天砲台での激戦、中島三郎父子の死である。これらは将に武士
道の鑑と言って差し支えない。(外国人には驚愕であり、理解し難いところであ
る。)
1.政府軍との交戦:
 仙台からの脱藩兵士の参加を得て、榎本軍は勢いを得、政府軍は押され気味と
なった。そこで、政府軍は青森に滞在している2000名を増派することとし、黒田
清隆がその統率に当たることとした。
・4月16日:黒田率いる2000名は江差に到着した。また、前日に朝陽丸が青森に
 入港し、政府軍を応援することとした。この援軍は木古内、二股口、松前に分
 けて政府軍を強化した。
(1)福山の戦い:
大鳥とカズヌープが守っていたが、占領され、大鳥部隊は木
 古内に退却した。榎本軍の方が死傷者が多かった。
(2)木古内の戦い:
 4月19日:政府軍は頑強に戦う榎本部隊を海・陸から攻め、木古内を落とした。
 榎本部隊は矢不来に退却した。
(3)箱館湾付近での戦い:
・4月24日:政府軍艦は箱館港に突入し、榎本軍艦や弁天砲台と交戦したがつい
 に引き返した。一方、榎本軍が茂辺地へ退却した。
・4月28日:政府軍・清水谷総督は青森を出て、江差に本営を移した。

・4月29日:矢不来への政府軍の進出を防ぐため榎本軍に榎本自身も応援に駆け
 つけたが、政府軍艦からの砲撃で打ち破られ、榎本の全軍は七重浜に退いた。
・また、二股口の榎本軍(土方率いる)は退路を絶たれるのを恐れ、五稜郭と箱
 館に退いた。
・同日、夜間、千代形丸は闇に迷って弁天岬の暗礁に乗り上げたが、夜間必死で
 離礁できた。しかし、翌朝、政府軍に捕獲された。これで、榎本軍の海軍は回
 天と幡竜の2艦のみとなった。
・一方、政府軍艦は5月2日に延命艦が加わり、合計8隻となった。従って、榎本
 軍が得意とする海・陸両面作戦は不可能となった。
・しかし、それでも、陸軍は苦戦はしたが、特に大鳥部隊は七重浜を死守し、政
 府軍の五稜郭への進出を防いだ。

2.箱館港の海戦
 榎本海軍は回天、幡竜の2隻のみ、政府軍は甲鉄艦以下8隻であり、戦いになら
ない状況であった。
・5月2日:政府軍艦は箱館港に入港した。しかし政府・陸軍が進まなかったため、
 一旦退いた。
・5月4日:「一市民が弁天砲台に進入し、大砲の火門に釘を打ち込み、発射不能
 にした。」との情報を得て、政府軍艦は再び箱館に入港し、回天、幡竜と交戦
 した。榎本が来襲に備え海中に仕掛けた大索のため政府軍艦は航行できなくな
 り、退却した。
・5月7日:このため、政府軍は水夫を雇って、大索を切断し、港内の総攻撃を開
 始した。
 甲鉄、春日、朝陽の3艦は6時に港内に入り、回天、幡竜と対峙し、他艦は弁天
 砲台を攻撃した。この戦闘は以下のように激烈を極めた。
・回天は甲鉄艦および他艦から合計80発の砲弾を受け、さらに機関にだ大破損を
 受け、運転不能になった。このため、回天は浅瀬に乗り上げ、砲台として応戦
 した。
・幡竜も回天に負けず奮闘した。このため政府軍は引き上げた。
 この夜、幡竜は機関の修繕が成功し、復旧した。しかし、たった1隻となった。
・5月8日:榎本は海戦の不利を認識し、政府陸軍の撃滅へ向け、作戦を変えて大
 鳥と共に兵800名を率いて官軍の居る七重村を急襲した。しかし、政府軍の
 スパイにより知るところとなり、途中で撃退された。
・政府軍は海・陸合わせて大挙して箱館と五稜郭を総攻撃することとした。
・5月10日:夜、黒田は兵300名を率いて、箱館山下の海岸に上陸し、次の作戦の
 ため潜んでいた。
・5月11日:午前3時甲鉄、春日の2艦は弁天砲台と回天を砲撃した。この戦いは
 激烈を極めた。ただし、一時幡竜が発した砲弾が政府軍艦・朝陽の火薬庫に命
 中し、同艦は爆発し、沈没した。しかし、大勢は多勢に無勢で土方は戦死し、
 榎本軍は残り、五稜郭と千代が岳のみとなり夕方戦いは終わった。
・5月12日:政府軍は榎本軍の残る3拠点を攻撃したが、榎本軍は頑強に抵抗した。

著者コメント

1.榎本軍は海軍が優れていたにもかかわらず、2隻が残るのみとなり政府軍艦
8隻(その内甲鉄艦)を迎え撃つこととなる。しかし、それでもこの榎本軍の2
隻は獅子奮迅の戦を行なった。その一つは幡竜から発射した弾丸が朝陽丸の火薬
庫に命中し同艦は爆発して沈没した。それが唯一の戦勝である。
2.榎本の陸軍は土方の奮闘もむなしく敗れ、弁天砲台、五稜郭の拠点のみとな
る。
3.政府軍は最後の戦場として函館湾からの砲撃を行なうこととなった。
4.政府は最初裏をかいて乙部に上陸した。榎本軍としては限られた人間を集
中して配置させるしかなかった。容易に上陸させる事はやむをえないとはいえ、
不利となったことは間違いない。